2016年7月28日 星期四

相模原事件と優生思想

都知事選の前に起きた相模原事件によって、優生保護思想が「政治」利用されているようですが、そもそも「出生前検査」に何らかの形で加担している人は、いうなれば、この思想を何らかの形で受け入れてしまっている人ではないのでしょうか?
社会問題化しているいまだからこそ、この問題を政治的に矮小化するのではなく、そうした「政治」問題から、一般「社会」の問題へと還元しなおすべきではないのでしょうか。
2011年の夏、筆者は日本と台湾で起きた油症問題の背後で、まさに「優生思想」が積極導入されていたことに言及しましたが、当時はこのトピックに限って、読者からの反応は全くゼロでした。この事件には、もっともっと裾野が広く、そして民心に入り込んだ根深い問題が潜んでいるのではないのでしょうか?


参照:台湾大学図書館機構典蔵




2015年5月28日 星期四

言論の手続きについて(補註)


わたしたちが向き合っている日本の現況について「近代の超克」を持ち出し、そして「翼賛の時代」への向き合い方を思考することに、些か反応しきれない方へのメッセージとして、ここで敢えて廣松涉著『「近代の超克」論』序論に引用された、松本健一氏のアプローチを見ておきますと:

・・・「戦前を日本ファシズムという概念で捉えることは、今日の常識ではあるけれど、当時ファシズムの非なることを言っていた者には、現在からすればファシズムの元凶とされる一派の青年将校をも含む」事実に留意を促し、「いまファシズムの危機を喋々したり、軍国主義の兆候を叫んだりしている手合いの多くは、一朝ことあればそのままの位相でファシズムの担い手になりかねない」事実を剔抉され、「それは本人たちによって当面ファシズムと呼ばれることはないだろう。それは新しい何かとして登場するだろう。歴史がまったく同じ状態を再現することは考えられないからである。ただ言えることは、その新しい何かはファシズムを否定するかたちで歴史の舞台に登場してくるだろう、ということだ。このとき、現在唱えられているファシズム否定論は、ほとんど役に立たないにちがいない。むしろこれは、これらのファシズム否定論の多くを自分の見方にひきいれつつ登場してくるはずである。」・・・

例えば、本国会の俎上に載っているような諸命題を、歴史認識問題に絡めつつ、まずファシズムや軍国主義といったコードを大前提に言論を展開する、その「手続き」の中に、上に引いたような、ファシズムを否定するかたちで歴史の舞台に登場してくる「新しい何か」が、既に出現しているのではないか、と思うわけです。この「新しい何か」とは、わたしたち「市民」をどういう位置へ措定し、「国家・民族」とどういう関係にあるのか・・・。とにかく、それを吟味することは必要ではないのでしょうか。



2015年5月27日 星期三

言論の手続きについて(追伸)



さきほどの、津田左右吉の『上申書』について、そこに現れた一文を以って、「ファシズム」に対する思考の材料を提示しておくことにします。

・・・何ごとについてでも、或ることがらが考へられてゐる時、それが学問的研究であるかないかは、その考へかた、即ち方法、の如何によつてきまるのでありまして、或る問題を研究するに當つて、何事をその出發點とし、如何なる資料を如何に用ゐ、如何なる道すぢを經て、如何なる歸結に到達したか、といふことが大切なのであります。到達した歸結によし誤りが無いとしても、その道すぢが正しくなければ、それは学問的研究としては価値の無いものであります。

これは当時、津田が「犯した」出版法違反の控訴理由として、その『総論』に掲げた一説です。戦中の法廷に示された、このことばの意味とは、それがいわれなくてもわかっている、ごく当たり前なことであるが故に、価値を有し続けるという点にあります。

言い換えれば、翼賛の時代認識についても、到達する帰結が「正しい」ことを以って価値を得るわけでもない、という点に注意が必要です。「如何なる資料を如何に用ゐ、如何なる道すぢを經て、如何なる歸結に到達したか、といふ」プロセスへの省略が許されるような言説の空間には、いずれにしても価値を認めない、という視点が必要なのだということだと思います。

言論の「手続き」について

    1943年7月に執り行われた「悪名高き」『近代の超克』座談会において、文学界同人の三好達治は、文部省の行う『記紀』等の古文釈義を評して:「あゝいふ書物は非常に科学的に詳しく論じてあるやうに見えて、実はちつとも科学的ではな」く、更に今の考え方は、「古典の中から日本精神を探し出して、さしづめこの時局に応用しようとする、さういう目の先の意図が非常に浅薄に見え透いてゐて、その為に古典の読み方、解釈の仕方が甚だ軽率で、不十分で、また時には非合理なんだ」と述べている。

この、三好の批判を検証するべく、それを同時代的事件に照らしておくと、津田左右吉が著した『古事記及日本書紀の研究』等が出版法に抵触し、出版者である岩波茂雄と共に起訴され有罪に問われている。(ちなみに津田・岩波の起訴は『近代の超克』座談会開催の二ヶ月前である。)津田への学問弾圧の細かい経緯はここでは割愛するが、彼の『上申書』を紐解くと、控訴事実に関する説明で、津田は「国体の尊厳」という辞句を執拗に並べ、いかにも歴史家らしく、その「時代」に迎合する自己を、意識している慎重さが伺えるのである。

仮装か偽装か、或いは迎合かはここでの問題ではない。あらゆる人・事・物が「時局に応用」されていった時代を省みつつ、そこに敢えて「知」の地位を与えるか与えないかは、もとよりそうした時代に生きていない、戦後という時代を生きている私たちの取る方法の中に、手続きを重視する精神が備わっているか否かに左右される。

現代の手続きを重視しない為政者が「ファシズムの時代」を如何に解釈しようとも、わたしたちは先に、この「ファシズムの時代」に生きた人々から、継承すべき思想を抜き取る視点と方法を手に入れておく必要がある。歴史認識問題を介し、現代の為政者をファシストだと批判するのは簡単である。問題は、そこにきちんと「手続き」が通過されているか否か、であるように思う。



2015年3月3日 星期二

社團法人台灣油症受害者支持協會 第三屆第二次會員大會 提案單 (其二)

案由: 
支持推動「MIT米糠油」相關製品的研發、生產、販賣及回收到再生利用,並將此一連串的事業所帶來的營收,部分活用於台灣油症受害者所需要的具體事項上。即是,協會應以整個社會的公益性,將同樣存在油症受害者的日本中米糠油製造業界所累積的製油及生化技術引進於台灣,重構「MIT米糠油」給予台灣社會新的希望。這樣的理念型態稱為CRM(Cause Related Marketing) : 善因行銷。
因此,關於本協會《章程》〈任務〉部分,本人建議設定以下一條文。
協會平行地支持推動「MIT米糠油」相關產品的研發,而藉由此商品的販賣所帶來的經濟效應,早日實現過去的台灣社會團體無法建立的自救機制。

說明:
支持協會的一項任務是將過去的錯誤觀念導正,並建構出人民應共有的知識。所謂「米糠油中毒事件」的發生,並非來自於米糠油脂本身的任何成分。然而在該事件發生之後,台灣產米糠油,卻因此而消失在產業界,這無非是幾十年間耗損了台灣本土農業資源。
無論是日本或臺灣,皆因該事件所造成的「污名化」,一再地否定了米糠油相關製品的流通。這非但未將「米糠油的問題與製油技術上的問題」這兩者之間加以區分,而是僅援用著錯誤的聯想,直接拒買「米糠油」,因此讓本來可帶來的經濟效應在油脂市場急速地萎縮。
我們應處理的事項是,這三十多年來社會上容許了排斥米糠油這個「物體」,同時也造成社會對於「人體」產生的歧視行為。意即是,社會成員在幾十年以來無意中「支持」了錯誤的聯想,並且容許了歧視受害者的「消費活動」。由此觀之,自稱為「受害者支持」的組織,當前重要任務應該導正過去的錯誤的媒體宣傳與舊知識。
協會應以公益性立場出發,將日本在事件發生以來,在米糠油脂製造業界裡所累積的製油技術與生化技術引進於台灣,藉由重新推動「MIT米糠油」,為台灣經濟社會帶來新的希望。尤其是從台灣產米糠油的生產、消費以及從回收到再生的循環型社會的建構所帶來的各種效應,不但可以支付受害者所需要的醫療費用外,同時也可以充當「油症研究」上所需要的經費。如此一舉數得的方法,應積極地推動與落實。

提案日期:2015/03/02

社團法人台灣油症受害者支持協會 第三屆第二次會員大會 提案單 (其一)

案由: 
為了維護協會如blog等網頁或DM等官方言論之公正性,建議協會早日設立以理解現行著作權法等相關知識人士組成編輯及審查委員會,而關於協會活動的言論或意見應對外開放,並其歸檔作為本協會運作上的有效史料。
其具體運作方式除了成員之言論外,應對外自由開放言論投稿,接納各種不同觀點與意見。而對於每一篇言論,至少經由兩位以上的委員審查後決定上架與否。若審查結果不一致,為維護程序正義,應將不上架或不一致的加以說明並公開於網頁上,以示公正。

說明:
長期以來,無論刻意與否,協會blog等所謂官方論述排除某一視點的相關研究,甚至如日前發生某成員所投報社的油症相關的文章中,有些文段涉及違背著作權法之規定,挪用他人觀點作為自我言論的行為,實不可取,但這些言論卻上架於協會官方blog上。為避免再度發生雷同問題,建議早日成立審稿及編輯小組,以作為官方論述監督之需要。

提案日期:201532

2014年10月27日 星期一

為什麼能類推米糠油事件,卻對於米糠油源上,視而不見?

剛好一年前,原本看似「國內」問題的食用油摻假(adulteration)風暴,後來逐漸發展成「國外」油商來台澄清的局面。這發展過程,直接反映到台灣油籽原料皆在「國外」(二○一二年的自給率只占三‧三%),因此食用油脂的產銷履歷追溯系統,一直難以落實。換言之,台灣的油源皆在「國外」,顯然難以克服終端成品檢驗的限制,而無法建立以常態性稽查的食品安全管制法。然而,無論衛生當局或媒體輿論,至今都不重視「國內」油源,因而才過了一年重演了「進口」油品的摻假事件。
其實,更令人不解的是,無論去年或今年,發生摻假事件發生不久,有些新聞媒體同樣與一九七九年發生的米糠油事件之間做類推(analogy)。然而,這事件並不是因為摻假而導致,而是由於技術疏失而發生,所以再怎麼回顧米糠油事件,並無法解決摻假問題。反而,由於「米糠油汙名化」的農業資源流失更嚴重。
因此去年的風暴時,台灣農業科技資源運籌管理學會理事長鄒箎生有言:「發展米糠油是未來發展希望」;農糧署長李蒼郎則表示,「過去曾發生米糠油在製程中混入多氯聯苯事件,民眾仍有陰影,目前米糠油多作為飼料添加物,不然米糠油是相當好的油,確實是可以研究的發展方向」(2013/11/15《聯合報》)。這段話確實讓筆者產生疑問:為何這些新聞媒體能夠類推米糠油事件,卻對於既有本土油籽資源上不去「類推」,而視而不見?
頂新表示退出製油市場的現今,正如學者所說,能否選擇重新摸索本土油籽資源而積極重構其產業鏈?這難道不是正視食用油風暴,而改善結構問題的正確方向?雖然食用米糠油的製造技術斷層已久,但若將在「國外」累積的生產管理技術進口至台灣,應用於油品的研發、生產、販賣上,那麼如此一來不但可以沿用常態性稽查保障食品安全的管制法,並促進本土農業永續經營,進而提供更多就業機會,甚至可以將部分營收反饋給過去米糠油事件的受害者,這樣的「事業關聯營銷」(Cause-Related Marketing),才能夠讓消費者透過自己的行為來關心社會問題,如此一舉數得的處置法,台灣全民該儘早推動與落實。


2014年6月26日 星期四

無垢箸は割り箸に翻訳され、そして免洗筷となる

 割り箸(わりばし)とは、箸一本の一部か或いはその片面の全てが連結した構造をもつ木製の箸をいう。読んで字の如く、連結部に物理的な力を加えて本体を割るが故に、そうよばれる日本発祥の食器である。割り箸は、江戸中期の町人生活の伸長と共に徐々に形成された道具(手柄岡持:1735-1813のいう割りかけの箸等)であり、したがって江戸中期以前に於ける懐石・本膳料理などの場で、食膳に添えられる白木の箸(無垢箸)を単にその形状の類似性から「割り箸」だとよぶのは、歴史的事実に基づかない誤認にほかならない。
こうした日本の伝統的な文物について、ネット・アクセス数の多い辞典サイト・ウィキペディアでは、無垢箸までをも割り箸から解釈することが容認され、更にそれが多言語圏の類似文物へ「等価関係」を持たされて、問題が更にこじれている。これまで国内的にあまり意識されることのなかったモノの定義が、インターネットを通じて多言語間でネジれる代表的事例が、この「割り箸」という概念なのである。
例えば、首相が国賓をもてなす晩餐会に用いる箸は、和紙の白箸帯が巻かれた、茶の湯料理で用いられる「両口の無垢箸(卵中箸)」であるが、純朴を隠喩する無垢箸は、上記辞典サイトでは無前提に「割り箸」といったカテゴリーに隷属させられている。江戸初期の茶の湯料理の発生から、元禄期以降の町人経済(外食産業)の伸長とが交渉して、懐石道具が町人文化へと溶け込んでゆく過程を最大限に鑑みても、無垢箸と、そして割り箸とを混同することには、日本人ならば違和感を感じるはずである。
改めて注視すべきこととは、無垢箸と割り箸は、現代日本において「ハレとケ」の関係が辛うじてトレース可能な実例だという点である。そして、このことを日本人自身が認識できていない結果として、以下のような問題が生じている。
この辞書サイトの「割り箸」項に包摂されている様々な種類の箸を見れば判るように、割り箸の定義から類推不能なプラスティック箸などが羅列され、更に翻訳機能を通じて現代中国社会に存在する「衛生筷」や「免洗筷」といった道具と同一視(リンク)させられている。つまり割り箸という語彙は、懐石料理で用いられる無垢箸を、割り箸に脱退換骨せしめるが如く、そもそも茶の湯料理という文脈を持たない中国語圏の人々に、中国社会にある「衛生筷」や「免洗筷」と同一の物体だと紹介されている。「衛生筷」や「免洗筷」とは、常設の店舗よりも衛生環境に劣る仮設の屋台で「衛生」面のみを考慮して用いられる箸を指すが、近世日本の町人文化史を鑑みれば、「割り箸」は中国語では「割箸」と表記すべきはずである。しかし、そうなっていない最大の理由は、無垢の箸を「無垢箸」として理解せず、日本の食文化史上に存在する全ての箸を、「割り箸」へと恣意的に翻訳する、わたしたち日本人自身の文化的意識の頽廃によるものであろう。
ところで、この問題の発生には、近年の文系学者を中心とする東アジア認識法が大きく関わっていることを忘れてはならない。一般に、前近代から存在する歴史的な文物に、「東アジア」といった枠組みを与えて文化論を展開する際、中国という概念を「中心」に据えてから、朝鮮、日本、琉球等を「周辺」に置くという主従関係化が行われ、そこから無制限に伝播論が展開している。
その典型的事例は、 2003年8月に台湾大学歴史学系が主催した『東アジア文化圏の形成と発展』シンポジウムである。このシンポジウムは、既に子安宣邦氏が指摘しているように、東アジアと称しながら、実は「一元的な中国文化圏の別名でしかない」ものであった。もし「東アジア」を語るのであれば、その多元性や多層性に言及しなければ、終始「周辺は中心に包括される」という結論が延々と繰り返されるだけであろう。「中国」を実体化するが故に日本、朝鮮、琉球を周辺に置くといった解釈法は、ゲオポリティーク(地政学)と密接な関係を持つ、文化的領土の包摂の意識と深く関わっている。
ウィキペディアにおける日本語環境の「割り箸」が、表面上その形状だけを以って、中国語環境の「免洗筷」へと直訳されているこの現状にこそ、東アジアをめぐる情報化社会の政治性と、その問題の根深さが表れているといえる

2014年6月3日 星期二

物化された被害者とダイオキシン

カネミ油症被害者支援センター(以下「YSC」)の前身が、焼却炉から排出されるダイオキシンを問題化する「環境保護」団体であったことは、カネミ油症という歴史的事件に向き合った人なら知っているはずである。しかし、そもそもダイオキシンという「モノ」に向き合っていたこの運動組織が、如何なる考えがあって油症「被害者」、つまり人を環境保護運動の対象にしてゆくのかについては、これまで考えられることはなかった。それを紐解くために、ここにYSCが編集・発行したある書物の『はじめに』を見ておくことにしよう。

私たちは、今、ダイオキシンで汚染された空気を毎日吸い続け、そして魚や野菜や牛乳を毎日食しています。その意味では、私たちは潜在的な「油症被害者」なのではないでしょうか。私たちはこのように考えたところから、日本最大のダイオキシン汚染被害と考えられるカネミ油症をあらためて取り上げなければ成らないと思いました。(中略)私たちは、大勢の方々に日本の油症被害の実態を知っていただき、各地でさまざな形で問題になってきたダイオキシン汚染問題の解決に役立てて、この地上からダイオキシン汚染をなくしていくためのきっかけになればという思いで、本書を世に問うことにしました。(止めよう!ダイオキシン汚染・関東ネットワーク『今なぜカネミ油症か』・2000)

まず注意すべきことは、ここには外延のはっきりしないコトバを媒介させて、「全ての人」が関心せざるを得ない状況が作り出されているという点である。YSCによれば、「汚染」された空気を毎日吸い、そうした食物を日々摂取しているわたしたちは、既に「潜在的な『油症被害者』」なのだそうである。しかし、運動を成り立たせている要因が、「全ての人」の共有する「モノ」であるとは一体どういうことなのか。仮に、わたしたち「全て」が、このモノの摂取者であった場合、社会運動という文脈において、「闘うべき敵手」は必然的に輪郭なき「私たち」ということばに埋没し、どのみち「敵手を確定する」ことは困難になるはずである。なるほど、だからこそ一般に共有されるべき、即ち五感に訴えかける、ある「かたち」が求められたのであった。「潜在的な『油症被害者』」をいくら用いても、運動の示す「フレーム」は構成されることはないのだから。
21世紀以降、そういう理由で油症被害者は顕在的な特徴を以って描写され、「この地上からダイオキシン汚染をなくしていくためのきっかけ」として、更には「ダイオキシン汚染問題の解決に役立」つ材料として、わたしたちの前に呼び出されていったのである。しかし、こうした観点から「日本の油症被害の実態」に接近すれば、否応なくテレビのドキュメンタリーや、雑誌等の媒体を用いることがより効果的だと看做されてゆくはずであり、被害者「像」は、より一層「観衆」に刺激を与える「被写体」へと実体化されゆくはずである。「各地でさまざな形で問題になってきたダイオキシン汚染問題の解決」に結びつけるために、「大勢の方々に日本の油症被害の実態を知っていただ」かなくてはならないという「ことば」は、こうして「市民権」を獲得していったのである。しかし、終始忘却されていることは、カネミ油症事件とダイオキシンとの関係である。更に言えば、被害者が「ダイオキシンによって」呼び出されていった、この倫理的な問題である。


参照:武田邦彦『誤報訂正:カネミ油症事件とダイオキシン』
https://www.youtube.com/watch?v=45opk1_RQhI

2014年4月2日 星期三

要遵守的是民主的理念

 服貿議題的程序瑕疵所引發的318學運,不到兩周就發展到五十萬人規模了。當被論及「國際信用」之際,我們應該將視點放置在「國際」之間互通的民主的理念之上,進而理解台灣人民與執政者之間產生的這股張力在民主社會上帶來什麼樣的意義。
 我們所熟悉的民主(democracy)一詞,它的語源是希臘文的demokratia,是將demos(人民) 與kratia(權力)這兩種概念結合起來的複合詞。我們都知道,由於人民的權力始終無法脫離實定法的限制,而執政者也不斷地強調「守法」,甚至指控學生「非法」,所以「不守法」的抗議活動是否符合民主的問題才被提出來質疑。
 要回答這個問題,在與民主相關的諸理念中,可以回顧藤田省三(FUJITA Shozo)所強調的 :實現人民擁有權力的過程是,「統合自律秩序的過程之同時,反抗統治者與被統治者之間不一致的過程」。因為使用這定義才容易驗證三一八學運中所謂「違法行為」是否符合於民主的理念。藤田所謂民主的理念是以執政者與人民之間的共識作為目標的運動「過程」,而並不是雙方達成共識的「狀況」才叫做民主。所以說,這個過程所蘊含的是,在執政者與人民之間的認知不一致的前提下,人民對於執政者提出批判、甚至可以採取不服從的態度。那麼展現「不服從」的正當性,是在怎樣的思路下被提出來的呢﹖
 民主主義之下的公民不服從(civil disobedience),是指因為執政者與人民之間的認知不一致,人民依循著更高的正義而被迫採取違法行為的手段。但因為它既然是個手段,所以絕不能將它視為是個目的,否則的話,很容易就會被歸為騷擾公民社會的不正當行為。於是,公民不服從有它本身的限制,亦即執行違法行為必有的前提是,其理據一定要凌駕於執政者的「正義」,這樣才能夠獲得其正當性。因此現在我們該提問的,並不是服從執政者要求人民遵守法律的說詞,而是要驗證訴求服貿協議的程序透明化,能否凌駕於執政者推行的先簽後審的正當性。這種驗證過程所預設的是,人民既然不願負服從執政者所要求之守法的責任,那麼執政者有義務提出更高一層的正義作為準則,否則的話必須立即修正執政者的正義觀而接納人民的訴求。
 雷茵霍·尼布爾(Reinhold Niebuhr)曾經說過:「人民對於正義的接納使得民主成為可能,而人民對於不正義的傾斜使得民主成為必要。」就現今的狀況而言,執政者僅確認先簽後審的事實而論及「國際信用」,卻無法提出更高一層的正義,那麼這就同時證明了其守法、法制觀念缺乏理據,而不過是個展現不服從民主的理念、對於不正義傾斜的行為而已。倘若是如此,那麼執政者必須將民主機制取得的位階還給「服從民主」的人民才合理。


來自 20140401 : http://www.twtimes.com.tw/?page=news&nid=401797

2014年3月28日 星期五

台湾での学生運動について

はじめに、立法院の内外で活動する「関係者(学生、知識人、医療従事者、法律家等)」以外は、台湾国内各「CATV(年代、東森、中天、民視、三立、TVBS等)」のニュースチャンネルを通じて当該情報を入手しているわけですが、CATVのテロップから画像処理の全てにおいて製作者自身の政治的イデオロギーが露呈している点は、今般の運動がある種の「情報戦」であるだけに注意を要します。特に翻訳を通じて「総括」をするような情報を、更に情報源の限られている海外に流す場合、その論拠についてはより厳しい目と精査が求められることは、述べるまでもありません。
さて、日本語環境でネット上に流れている台湾の情報について検索をしてみると、例えば「内田樹の研究室」というブログに、3月27日付けで台湾の最新情報がUPされています。ただその内容は、事柄の重要度から軽視できる三面記事を基本的な知識である箇所に交えたり、また正確さを欠く表現が多く点在する部分に注意を要します。(内容はhttp://blog.tatsuru.com/ を参照)
そこで、このブログの抱える問題を通じ、今回の運動についてまず殆どの人が抱くであろう:「立法院の占拠継続はなぜ可能なのか」という疑問について答えてみることにします。当該ブログ内では根拠に乏しい勝手な判断がなされているので指摘しておく、という意味でです。このブログには:


今日のNJKテレビは「立法院は民主主義の象徴であるため、占拠している学生の排除は難しいと考えられ、まだ解決の見通しはたっていません」という趣旨の報道をしていましたが、まったくまちがっています。立法院の学生占拠が続いているのは、国民の大多数が学生たちを支持しているからです。そして、学生たちの勇気ある闘いが敗北すれば、台湾の民主主義と独立が破壊されてしまうからです。

と述べられていますが、「まったくまちがっている」かどうかを述べる前に、まず法治国家における公民の法的行為の妥当性、即ちその法理から解説を加えるのが通過すべき「手続き」であったはずです。
なぜなら、318の運動している学生達自身が「手続き」を重視する運動の主体そのものだからです。彼等自信が「立法院」という場所を占拠していることの法的解釈は、318の学生運動を理解する上で、もっとも基本的で、且つ重要な意味を持っています。結論的に言えば、
立法院という建物の内外にいる学生達を当局が排除できない理由は、その法源自体が存在していない、ということです。台湾では警察権の発動は立法院議長にありますが、その主体は立法院内の「立法委員」であって、「一般市民」ではないために排除ができないのです。
したがって、このブログで述べられている「国民の大多数が学生たちを支持している」か否かは、信憑性のある統計が現存しないため、何を根拠にそうした判断がおこなえるのか「まったくまちがっている」かはさておき、理解に苦しみます。
仮に、多くの市民が学生達の占拠行動を支持しているとしても、「公民不服従(civil disobedience)」が民主主義の理念に於いて正当化される、その理由をきちんと理解した上で支持表明しているのではないことは、イデオロ張りの各局ニュースチャンネルを通じて情報入手している市民が大多数である、という事実からも検証が可能です。
みなさん、「根拠のない論述」は飛ばして読むようにしましょう。

2012年4月3日 星期二

粉乳中毒事件史の現在(下):森永問題とは何か?サマリー

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本論(下)では森永・厚生省・守る会三者「合意」の歴史的意味を紐解くべく、「七十年代」を視点として、日本調停史が戦後へと移行する段階で、戦前の調停制度と切れることなく、ズルズルベッタリに連続している問題を考えてゆく。



本論(下)是試圖解明,森永、厚生省、守護會三者「合意」的歷史意義。即是以七十年代的史料作為根據,進而思考由戰前到戰後的日本調停史的遷移過程,從中可驗證出它與戰前的調停制度之間尚未切割的結構問題。



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2012年2月26日 星期日

油症問題の同時代史的考察:予防原則と系譜描写の前景(6)

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1968年と1979年に起きたPCBs中毒事件が悲惨を極めたのは、萌芽したばかりの、未だ固有名を持たない命をめぐって、母親が我が子の出生の「是非」を自問自答していたからである。本節では、二つの油症事件史を辿る作業に付き纏う問題、即ち市民(被害者)が「人として」向き合っている原初的なこの問いに、医者から法律家、そして「救済」を叫んでいる運動家までもが、見てみぬ振りをしている現実を論じてゆく

對於油症問題的同時代史性考察:予防原則與系譜描写的前景(第5~7回摘要)

5】在台灣發生油症事件的隔年(1980),被政府公認的財團法人中華民國消費者文教基金會消基會成立。現在,在消基會的網頁緣起」欄中,敘述著該會的成立與油症事件之間的關係,但是消基會所發行的雜誌《消費者報導》的「創刊號之中,卻未嘗言及該事件,反而是論及有關婦產科等相關的問題。本節欲思考的是,因油症事件的發生而成立消基會的緣起者,為何不優先論述油症事件,反而是討論婦產科的問題?


6】發生在1968年和1979年的PCBs事件之所以讓人感到悲慘至極,是因為受害者母親面對這個還不具有固有名稱的生命,去思考其出生的「是非」。本節所要討論的是,當市民(受害者)面對原初性的如此問題時,醫生法律家,甚至是社會運動家在這些問題上視而不見的現實。

自稱為「支持」受害者的組織,為何一方面可以將消基會視為是油症事件所促進的組織,但是另一方面在對於消基會所促成的公共政策──《優生保健法》上卻是採取視而不見的態度?再者,為何台灣油症受害者支持協會(TYVSC)的成員,在對於該「公共政策」的推行上可以保持平靜的態度?本節欲透過這些疑問,解明吾人之所以無法盲目地追隨「受害者支持」一詞的理由。



本文的下載 --> 台灣大學圖書館機構典藏


油症問題の同時代史的考察(8)

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  『文化研究』(第十期)の論壇:『医療倫理・生命倫理
に於いて、宇田和子氏は「・・国家や責任企業への要求や陳情において使われることばは」、その「実現可能性を高めるために戦略的に妥協をしている場合が考えられる。したがって、運動を評価する際には、言説と行為の両方を見る必要があるだろう」と言っている。確かに、社会運動に於いて使用される「ことば」とは、その目的の、「実現可能性を高めるために戦略的に妥協」していることは疑いない。だからこそ、わたしたちはこの妥協が、「不正をはっきりさせ」る精神的機軸(目的)をもつものなのかを確認しなくてはならないのである。本論の(8)では、「一般に共有されるような要求」が、どのような「かたち」を採って社会に具現し、それが「不正をはっきりさせる」事とどう関係するのかを明らかにしてゆく。

主旨が「選別」される その意味について

子安宣邦氏は : 靖国神社の遊就館が掲げる「戦役事変別合祀」を構成させるためには、生者が「英霊として死者を選別し、祭神として祀るためにはともかくも歴史解釈と歴史観」が必要であることを述べられている。この、氏が捉えている「選別」とは、即ち生きているものが「意味づけることのできない無数の戦争による死者たちを負」う宿命がある、という一人の人の内在的意識によって構成された核心的な問題に他ならない。(『国家と祭祀:国家神道の現在』を参照)


ところで、10月17日に発足した「台湾油症被害者支持協会」の『協会規定草案』の総則・第三条・第一項には:「油症被害者及び其の後代の身分及び保証と其の権益を確認する」(2009/06/21) ことが明記されている。この第三条とは活動の主旨を述べた、言い換えれば組織の存在目的を規定している箇所であり、其の第一項に、明確に「身分確認」が謳われているのである。


さて、協会の理事たちは、この第一項をめぐって今後繰り広げられる現実不妊の問題をどのように「意味づける」のだろうか。このことは、これから協会が活動してゆく上で重要な「意味」をもつことだけは間違いない。この第一項を実体化してやまない一群の会員と、それを抽象的な運動原理として捉える一群の会員との間に伏在してゆく相容れない対立を、理事たちは果たして「民主」的手法を用いて会員を「選別」し始めるのかどうか・・・、この第一項の「意味づけ」こそが、まさに今後の被害者救済事業の焦点になることだけは間違いない。

2012年2月21日 星期二

粉乳中毒事件史の現在:森永問題とは何か(中)サマリー

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2005年1月、森永ヒ素ミルク中毒事件の加害者でも被害者でもない能瀬英太郎は、『森永ヒ素ミルク中毒事件:発生から50年、被害者救済の実施状況』を著している。そして同年11月、これに呼応する形で、被害者でも加害者でもない中島貴子は『森永ヒ素ミルク中毒事件50年目の課題』を著し、更にその二ヵ月後、これに対して被害者組織(守る会)が抗議文書を発信している。事件の発生から50年目にして起きるこの「対話」はどういう歴史的意義を有しているのか。事件の当事者でないわたしたちは、この「対話」を成立させるファクターを直視し、被告∕原告、被害者∕加害者の関係自体を主体的に組み替えてゆかなくてはならない。



2005年1月,既不是森永砷奶粉中毒事件的加害者,也不是受害者的能瀨英太郎,發表了『森永砷奶粉中毒事件:發生第50年,受害者救濟事業的實施狀況』。同年11月,同樣的既不是該事件的加害者,也不是受害者的中島貴子發表了『森永砷奶粉中毒事件,第50年的課題』,呼應著能瀨的著作。而在這著作發表的隔兩個月後,受害者支持團體(守る会)對中島貴子寄發出一封抗議信函。我們應該省思當事件發生第50年所產生的這「對話」究竟有何歷史意義?尤其並非是事件當事者的我們,更需要正視其「對話」的成立要件,主體性地重新界定,被告∕原告、被害者∕加害者的二元對峙關係。



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2012年2月6日 星期一

『わたしの12月8日──日米開戦の記憶』の読み方

1941128日(真珠湾は7日)は、日本海軍がアメリカ海軍の根拠地を奇襲し、太平洋戦争が勃発した日である。毎日新聞は、2010年の同日に因んでわたしの12月8日──日米開戦の記憶』(木村葉子)という企画を組んでいる。そこには当時の満州、台湾、朝鮮で幼少を過ごした人々の「記憶」を紹介している。台湾については、高雄で生まれ育った手島悠介さん(75)が、当時6歳だったこともあり、「開戦の記憶はほとんどない」にもかかわらず、「物産商をしていた父や店員らが「戦争が始まった」と話し、「すごいことが起きる」と感じたのは覚えている」とした上で以下のように記されていた 




開戦後、軍港の高雄には南方に向かう日本の艦隊が次々に入港した。兵士は父の土産物店に立ち寄り、銀の細工品やさんごをふるさとに送っていた。高雄で、日本人は新しくできた町に、旧市街に台湾人が暮らしていた。旧市街の市場に母やお手伝いさんと買い物に行ったこともあるが、台湾人と付き合うことはなかった。「今思えば、心の底でばかにしていた」と手島さん。「申し訳ないことをしたとつらい気持ちが募りますが、当時はわからなかった。」




ここには、開戦に対する記憶が「ほとんどない」ことを、別の記憶で補填するかのように、物事の是非すら「わからな」い
6
歳のこども「心の底」が率直に綴られている。この、植民地に生まれ住んだ、こども「心の底」には、当時の周辺地域における、内地人による「当たり前」の位階意識が滲み出ている。しかし、それから一週間後1215日、当該新聞に突如現れるおわび
』記事には何が書かれていたか、全文記そう 

 


8日朝刊「わたし128日 日米開戦の記憶(下)」で、台湾人について述べた手島悠介さんの今思えば、心の底でばかにしていた」「申し訳ないことをしたとつらい気持ちが募りますが、当時はわからなかった」という部分は発言の趣旨ではありません。手島さんの発言の趣旨は、「当時の大人たちの中には、現地の人たちのことをばかにした人もいたかもしれない」「植民地の支配者側のこどもであった私は、整理しきれない重いものを抱いたまま毎日を過ごしていました」でした 

 


一週間前に、こども「心の底」を正直に語った、その本音の「趣旨」とは、実は「当時の大人たちの中には、現地の人たちのことをばかにした人もいたかもしれない」だったのだとし、そして「植民地の支配者側のこどもであった私は、整理しきれない重いものを抱いたまま毎日を過ごして」いたことだった、というのである。だとすれば、手島さんは当初、何に対して「申し訳ないことをしたとつらい気持ちが募」ったのか、わからなくなるではないか。このおわび』が、本文の「趣旨」から齎される、あの最初の「おわび」の意味を打ち消してしまっていることの方が、はるかに「おわび」するに値する歴史認識の問題を呈している。毎日新聞の編集者はこの問題にどう答えるのか

森永問題とは何か(上)サマリー

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2009年2月、森永ヒ素ミルク中毒事件の加害者でも被害者でもない能瀬英太郎は、岡山地裁に事件の被害者を「守る会」を訴えている(平成21年(ワ)第249号損害賠償等請求事件)。この新聞等に於いて未だ公にされない民事訴訟は、事件が過去の歴史ではなく、まさに発展の最中にある歴史であることを示唆している。事件の当事者でないわたしたちは、この訴訟を成立させるファクターを直視し、右媒体を通じて未だに公けにされない「理由」を明らかにしつつ、被告∕原告、被害者∕加害者という二項対峙自体を主体的に組み替えなくてはならない。



2009年2月,既不是森永珅奶粉中毒事件的加害者,也不是受害者的能瀨英太郎,向日本岡山地方法院控告該事件的受害者「支持」團體(守護會)。至今為止,這從未被報紙刊物公開討論過的民事訴訟案件能夠證明,1955年發生的這個事件,並不是已經過去的歷史,而是仍在發展當中的歷史。並非事件當事者的我們,需要正視該訴訟的成立要件,而審查新聞刊物之所以視而不見的理由,進而主體性地重新界定,被告∕原告、被害者∕加害者的二元對峙。



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2012年1月16日 星期一

「粉乳中毒事件史の現在---森永問題とは何か」の連載が始まります。

1955年8月24日、新聞紙面に登場する「森永ヒ素ミルク中毒事件」は、大量の死傷者を生み出した先の大戦から解き放たれた人々の世代的「希望」を、再び生命の萌芽という次元から打ち砕いた点で、二十世紀に生まれた全体主義を戦後的に展開せしめた典型的事例だと言えます。食中毒から、いわゆる「食品中毒」への飛躍を齎したファクターは、わたしたちの「生」を標的にする点で原初的であり、発生から数年間は被害者の「全て」が法的な意味での行為能力を有さない点で全体的であるからです。恰も、その後の「次世代」への影響を問題化する水俣病や、カネミ油症の出現を予見するかのように、森永ヒ素ミルク中毒事件は、被害者とその親が「同世代」であることを以って「食品中毒」事件史の冒頭を飾っているのです。

  本論は、未だに新聞や法律の専門誌が見てみぬ振りをし、全く取り上げようとしない、ある損害賠償等請求事件への接近を通じて、粉乳中毒事件が抱えている問題が何なのかを考えて行きます。

2011年11月19日 星期六

社團法人台灣油症受害者支持協會 第二屆第一次會員大會 提案

案由: 




現行《章程》的「任務」部分,該增加以下項目
 



推動
台灣產米糠油」相關製品的研發、生產販賣以及回收到再生,並將這些事業所帶來的部分營收活用於受害者所需要的具體事項之上。即是,協會以其法人的公益性,將日本的米糠油脂製造業界裡所累積的製油及生化技術引進於台灣產業界,重構「台灣產米糠油」,給予台灣社會新的希望 



建議理由如下:
 

    支持協會的一項任務是將過去的錯誤觀念導正,並建構出人民應有的知識。所謂「米糠油事件」的發生,並非來於米糠油脂本身的成分。然而在該事件發生之後,台灣米糠油卻因此而消失在產業界,這無非是耗損台灣本土的農業資源。無論是受害區域的日本九州或臺灣,皆因該事件所造成的意象,而一再地否定這項農產品的流通。非但未將米糠油的問題與製油技術上的問題這兩者之間加以區分而是直接拒買米糠油」,因此讓本來可以帶來經濟效應的油脂市場急速的萎縮。


    我們需要關注的事實是,這三十多年來社會上容許消費者排斥米糠油這個物體,同時也無意中造成了社會對於「人體(即是指受害者以及其家族的)產生歧視的行為。意即是,社會成員在幾十年以來支持了這種錯誤的消費觀念,並且容許了歧視受害者的消費者運動由此觀之,自稱為「受害者支持」的組織當前重要任務應該改善這些錯誤的觀念。


    若要實現這個課題,協會應以自己的公益性立場出發,將日本在事件發生以來在米糠油脂製造業界裡所累積的製油技術,與生化技術等引進於台灣的產業界,藉由重新生產「台灣產米糠油」,為台灣經濟社會帶來新的希望。尤其是從台灣產米糠油的生產消費以及從回收到再生的循環型社會的建構所帶來的經濟效應,不但可以支付受害者所需要的醫療費用之外,同時也可以充當所謂「油症研究」上所需要的經費。如此一舉數得的方法,應積極地推動與落實。 




   
有關這提案的思維根據,可參考拙著〈油症問題の同時代史的考察〉,2011

 


2011年11月17日 星期四

臺灣油症受害者支持協會 會員大會

台灣油症受害者支持協會 會員大會

日期: 2011年11月19日(六) 11:30-14:00

地點: 台灣大學公衛大樓 701室 (台北市徐州路17號)

2011年10月10日 星期一

給予地震受難者 (孤兒們) …

魔力大自然》  



          曲
: 洪予彤  : 趙自強徐琬瑩

傳說大自然有雙眼晴   天天看顧每顆受傷的心 

許個願望    說個咒語   心理相信   不要放棄 

夢想就會變奇蹟 



綠草綠
    藍天藍  
大自然的精靈啊 

聽聽我們的聲音   快把沉睡大地喚醒 

手舉高    向前行   陽光空氣加上水

給我們神奇魔力   打開絕望  封閉心靈 

梅蘭菊竹  大口深呼吸   日月星辰   太陽給勇氣 

山川湖泊  不怕風和雨   春夏秋冬   愛推動四季

大自然的神奇魔力   天天都有釋放愛的神奇

                                                     來自,如果兒童劇團《祕密花園》

 






2011年9月8日 星期四

油症問題の同時代史的考察:予防原則と系譜描写の前景(7)

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自称、被害者を「支持」する組織が、一方で消費者文教基金会(消基会)を油症事件によって促された組織だと認識しながら、他方で消基会が大きく加担している公共政策──『優生保健法』促進には不問だという態度は何を物語るのだろう。なぜ、台湾油症被害者支持協会(TYVSC)の成員は、この「公共政策」に平静でいられるのだろう。この問い掛けを通じて、わたしたちが「被害者支持」という語に見とれてならない理由が明らかとなる。

油症問題の同時代史的考察:予防原則と系譜描写の前景(5)

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台湾で油症事件が発生したその翌年
1980年)、
政府公認の(財)中華民国消費者文教基金会(消基会)が出現している。現在、消基会のHP内の「沿革」項では、その冒頭で油症事件との係わりが記されているが、当該組織の発行する雑誌『消費者報道』の創刊号では、この事件には全く触れられておらず、婦人科関連の問題が討議されている。事件との係わりを謳う消基会が、何故に油症問題よりも婦人科問題を優先していたのか。本節ではその手掛かりを示してゆく。



2011年8月21日 星期日

油症問題の同時代史的考察:予防原則と系譜描写の前景(4)



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      台湾油症受害者支持協会が掲げる政府への請願項目には、「油症被害者の判断基準を定め、其の身分を確立する(第二、第三世代を含む)」ことが謳われている。ここに
「判断基準」の設定が掲げられているのは、もとより「支持」活 動の所期目的が行政的な「措置」と連続しているからである。だとすれば、人々を篩いにかける「判断基準」が、其の「次世代」からではなく、被害者「支持」を謳っている法人組織から要求されるで事に注目しなくてはならない。「第二、第三世代」に与えられる所謂「身分」とは、現代の「平等」社会を肯定的に受け入れてしまっているわたしたちに何を問いかけているのだろう。



      台灣油症受害者支持協會在對於政府的請願項目中言明:「建立油症受害者判斷之基準,以確立其身份(包括第二代及第三代)。」這一條文之所以需要設定「判斷基準」是因為「支持」活動的目的,直接連續於行政「處置」之緣故。倘若是如此,我們必須留意,需要篩選人們的「判斷基準」的主體,並非是受害者的「後代」,而是倡導「支持」受害者的法人組織。今日,理所當然地認為活在「平等」社會的我們,又將如何理解並給予後代「身分」的時代意義?



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油症問題の同時代史的考察:予防原則と系譜描写の前景(3)



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  社会運動が作り出す信念のパラドックスは、現世的な関心を以って、人の生命・健康や自然環境に対して大きな悪影響を及ぼす可能性が懸念される存在者を探し出す、という実践によって生じていた。しかし、そうした現場では、生活の最も基礎的枠組み──家族は、どのような役割に転じていたのだろうか。第三回からは、いわゆる「知」の伝達が呼び起こしてゆく「デモクラティック」な社会運動が、結局のところ「誰」を救っているのかを捉えてゆく。



不論戰前或戰後,社會運動所產生的信念的paradox都是以現世的關心,試圖尋找將有可能給於人的生命、健康以及自然環境上龐大影響的存在者,並於實踐中產生。在這樣實際的場合中,如何將人民生活中最為基礎的架構──「家族」轉換成怎樣的社會角色?第三回則是欲掌握,所謂「知識」的傳達所喚起的「民主性」之社會運動,究竟是救濟了誰?




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2011年4月28日 星期四

開始連載《 對於油症問題的同時代史性考察 (1) 》

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       所謂「油症問題」,指的是在1968年日本發生的Kanemi油症事件和大約十年後在台灣發生的類似事件的被害者與家族,以及包括胎兒的後代上展開的認知之範疇。對於早已熟「知」Kanemi油症事件的日本人而言,可能現在才「知道」在台灣也曾經發生過與日本同樣的中毒事件。

       然而如何得知,這才是本論的構成條件。雖然「知道」此一動詞是多義的,但是就如同僅要輸入「Kanemi油症」就以為增加「知識」一般,若將當它作為量化的知識對象時,我們只要「檢索」這些符號,而閱讀字面上的解說便表示理解。於是,量化的知識對象是已經事先被解答的字義概念。

       在台灣發生的油症事件的雷同性,通常是在日本經由Kanemi油症事件而被認識的。然而對其經緯之所以具有詢問的必要,是因為若不對於「前認識」上進行檢證的話,便無法確定「台灣油症」的認識是否恰當。

       筆者透過雜誌連載方式,逐漸釐清,在過去被忽視的事件中最核心,且最原初的問題。

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2011年4月17日 星期日

勘誤



文化研究第十期,陳昭如著〈如何尋找「支持」的立場:回應〈預防原則與受害者支持的悖論〉 一文中,編者將原作中的「戶文」此一不妥當 (不尊重姓氏) 的簡略符號,應更正為「戶倉文」。但未執行此事,學刊編輯在第十一期勘誤中已有特此向本人致歉

2011年4月12日 星期二

對於油症問題的同時代史性考察(2)

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Kanemi油症事件的發生是讓製油業界盡早更換熱媒體的課題。然而,在此所謂「業界」的外延究竟至何處?思考這問題的契機,則是在1974年5月,築野食品工業株式會社設置了高壓水蒸汽脫臭器的狀況之上而產生。當時,該社將此消息透過農林水產省介紹給業界內的技術人員,而這個訊息的傳遞被記錄在築野食品的《社史》之中。但是,在此需要思考的是,無論台灣或日本,為何目前的《油症事件大事記》(所謂「事件年表」)之中,並未將「高壓水蒸汽脫臭器的普及過程」的史實記錄於其中?思考這問題之後,便能查覺得到,台灣/日本兩地各別所編輯的《油症事件史》,是在後殖民主義的「戰後」認識之下所被塑造出的歷史。



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2011年4月9日 星期六

「想定外」という語の狡智

中村宏氏は『物と事と生の研究史』(永田文昌堂・1997)に於いて、1955年に特急あさかぜを使った、当時としては最長距離であった東京-博多間での車軸の応力・疲労試験の様子を振り返って、あの時の「研究報告に“絶対大丈夫”ということを書いた。処が2-3年経って一本塵除座が京都-米原間で破損した。その後調査すると、90%以上にきづが入ってい」たと語っている。


氏の語りは、この後に興味深い命題を提起する。いわく、十数年後に計算法を変えてみたら「寿命は3200年から4年にな」り、「昭和43年頃私達が(新しい計算法を)言い出した時は、奇異の目でみられた」のだそうである。


福島の原発問題を前にして、わたしたちは、ここに存在する実測と計算は「異なる」ということばの意味以上の「誤差」が何を物語っているのかを考える必要に迫られる。そもそも、モノの寿命が「3200年」であることを測定できた人など居ないはずなのに、なぜ中村氏たちの計算法は世の中から奇異の目でみられたのだろう。


今ここで、『物と事と生の研究史』を紐解いた「社会科学者」の多くは、恐らく「地震大国」日本の新幹線技術を、車軸という一パーツから支えた研究者の計算法が、台車を「物」の代表に見立て、金属疲労を「事」の代表として、これらを人の「生」から括る構造を有していたことを知って意外に感じたはずである。そして、3200年と4年という誤差は、人が「全て」に於いて答える能力をもっていると信じるか否か、というプリミティブな「ズレ」から生じていたことを、知ったはずである。

   だとすれば、中村氏たちへの白眼視は、まさに現在進行形の「認識」問題を喚起しているはずである。今回の原発問題を前にして、そこで「安全」という語をいとも簡単に発せられる御仁は、まずこの「誤差」の存在について、主体的に思考すべきであろう。

2011年4月8日 星期五

油症問題の同時代史的考察(2)

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  カネミ油症事件
の発生は、製油業界に熱媒体の早期転換という課題を突きつけていた。それを考える契機は、1974年5月に築野(つの)食品工業が高圧蒸気による脱臭装置を設置した状況に生じている。

  この、該社の『社史』から篩い落とされることのない当該史料は、当時、農林水産省を介して紹介され、「業界」に新技術は齎された、とされている。しかし、この「史料」が該社の『社史』にだけ取り込まれているのはなぜなのか。それは、言うまでもなく、カネミ油症事件を受け、課題の解決の為には社の内外を問わず、技術家同士が「連帯した」事が賞賛に価したからである。だとすれば、この「業界」という概念の外延は一体何処であったかを問わねばならない。

  さて、これまで日本と台湾の『油症事件史』というテクストを創った人々が、新たな高圧蒸気脱臭装置が普及してゆくこの「史実」に全く関心を示せなかった理由とは何だったのか。糠油を生産する一企業の『社史』に積極的に取り込まれている史料は、なぜカネミ油症の「再発」予防を見つめる人々の篩から終始抜け落ちていたのだろう。

  二つの油症事件は「戦後」に起きている。しかし、「戦後」から事件史を書くこととで何が見失われてゆくのかを今一度認識する必要がある。日本か台湾かを問わず、『油症事件史年表』を書く上で応用される、ポスト植民地主義者の「戦後」問題は、ここから確認できるのである。



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2011年3月4日 星期五

『油症問題の同時代史的考察』の連載が始まります



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       「油症問題」とは、主として1968年に日本で発生したカネミ油症事件と、その約十年後の台湾で発生する「類似」事件の被害者とその家族及び次世代に対する認知の状況を指すカテゴリーです。


さて、日本のカネミ油症事件を「知る」人の多くは、台湾でも日本と同様のPCB中毒事件が起きていたことを、ここにはじめて「知った」ことでしょう。しかし、この「知る」ことに辿り着く経緯が、これから本論を構成してゆくファクターなのです。「知る」という語の意味は多義的ですが、それが情報のいわば量的関心を指す場合、わたしたちは対象を「検索」して、画面や紙上に現れた説明書きを読み、そこに何らかの理解を示しています。例えば「カネミ油症」、と入力すればそれで知識が増えるといった具合に・・・。つまり量的関心の対象は「予め」誰かによって他のことばに言い換えられた語なのです。


これから数回に渡って、この「台湾油症」の語意がどのようにして与えられるのか、というプリミティブな問題を考えてゆきます。台湾で発生した事件の「類似」性は、日本では通常、カネミ油症事件「から」認識されます。本論を通じて、その認識自体にわたしたちは量的な関心としてでなく、まず質的なことを問う必要があることを「知る」必要があります。なぜなら、前認識への検証なくして認識の当否は定まらないからです。

   本論稿は、「自治・ひと・くらし」について考える市民の交流誌『月刊むすぶ』(No.481~)
に連載されます。ご購読は下記まで:



京都市東山区泉湧寺五葉ノ辻町28 

ロシナンテ社 

電話:075-533-7062

 http://www9.big.or.jp/~musub/

2011年2月28日 星期一

子安宣邦教授 台灣講座『何謂「希望在民間」?』


日       期:2011222日 14:30-16:30

地       點:清華大學人社院  


舉辦單位:清華大學中文系、人社院 


講義資料:子安宣邦著 : 劉曉波 — 作為我們的問題 : 重讀 從天安門事件到「08憲章」


                                      日文原文刊載於『環』(Vol.442011Winter : 藤原書店)




相關下載:中国の人権派弁護士の身柄拘束等についての要望書/子安宣邦



相關twitter:劉暁波とともに 中国を考える

      
http://666999.info/liu/china.html


2011年1月27日 星期四

油症患者 入院時部分負担を全額補助

   32年前、台湾の多くの民衆が蒙った「PCB油症被害では、現在も尚一~二千名の「PCB油症」被害者が存在している。衛生署国健局は被害者が部分負担する通院外来費の補助を行っているものの、加齢に伴い入院需要も増しているため、一月一日まで遡って入院時の部分負担についても補助する決定をした。




国健局 今年から全面実施




   32年前、彰化の油脂工場が米糠油の脱色・脱臭過程中、熱媒体にPCBを使用した配管が膨張収縮により亀裂を生じて、PCBsが米糠油を汚染した。該工場の生産したこの米糠油を摂取した彰化、また恵明学校を含む台中地域の二千名余りがこの汚染被害を蒙り、被害者の身体には
痤瘡や爪の黒変、また呼吸、免疫系統が損傷し、また生殖能力への影響をも受けている。


   台湾油症被害者支持協会秘書長邱曉玲によると、既に政府は去年7月末に油症患者のデータを健康保険ICカードに記録する作業を終え実施をしているが、記録に未だ同意していない人が持っている「油症患者診察カード」でも受診できるため、旧来の権益には影響ないとのこと。


   国健局は、昨年10月から優先的に妊娠を予定している婦女油症患者を対象に血液中のPCB化合物濃度検査を始めているが、毒性の強いPCDFsの検査には約2万元という高額な費用が必要なため、未だこの部分の濃度検査は行っていない。これについて国健局邱淑媞は、PCDFの半減期はPCBよりも早く、その濃度も汚染当時に検出され易い。つまり中毒事件発生から30年余りを経た現在での測定の意義は大きくない、としている。


   また邱淑媞は、国健局は今年から油症被害者の入院部分負担の全額補助を行っており、外来及び入院面で、油症被害者に対して整ったサービスが提供できるとしている。




(『自由時報・電子報』 2011年1月16日・
魏怡嘉 : 日文訳は戸倉)

《自由時報》「油症患 全額補助住院部分負擔」

2011-1-16〔記者魏怡嘉/台北報導〕




     卅二年前,不少中台灣民眾飽受「多氯聯苯油症」之害,目前尚有一千到二千名「多氯聯苯油症」受害者,雖然國健局已補助他們就醫時的門診部分負擔,但因他們年紀漸長,住院需求日增,因此衛生署國健局決定全額補助其住院部分負擔,並回溯至一月一日。 



國健局決定今年起全面實施
 



    
十二年前,彰化一家油脂工廠在米糠油加工除色、除臭的過程中,使用多氯聯苯(PCBs)為熱媒,其加熱管線因熱脹冷縮而產生裂縫,使得多氯聯苯從管線中滲 漏污染到米糠油,造成彰化、台中地區包括惠明學校師生在內,二千多名食用該廠米糠油的民眾受到多氯聯苯污染毒害,受害者身上長出膿瘡痘痘、指甲變黑、呼吸及免疫系統受損,生殖能力也受到影響。  


     台灣油症受害者支持協會秘書長邱曉玲表示,政府已在去年七月底完成實施油症患者健保IC註記作業,而未同意註記者仍可繼續持「油症患者就診卡」紙卡就醫,不影響其原有權益。  


     去年十月國健局開始優先提供計畫懷孕的婦女油症患者,抽血檢驗其血中多氯聯苯的化合物濃度,但確切致毒性較高的多氯呋喃(PCDFs)因檢測所需經費比較高、大約要二萬元,目前國健局尚未有規劃針對其濃度進行檢測。


     對此,國健局長邱淑媞表示,多氯呋喃的半衰期比多氯聯苯快,其濃度只有在剛污染時比較容易測得出來,中毒事件發生迄今已有三十多年,再測意義不大。


     邱淑媞指出,國健局決定從今年起全額補助油症受害者住院部分負擔,在門診及住院方面,都給予油症受害者完整的照顧。



     引自《自由時報,電子報》

2010年12月23日 星期四

開眼としての講義:書評、子安宣邦著『思想史家が読む論語:「学び」の復権』



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       教育が普遍的に施行される理由は、官吏制度の中にあって、正しい問いに正しい語意、そして正しい答えが予め準備され、その一切は壇上に立つ一人の教育者(機構組織人)によって管理、掌握されているからである。その結果、終始忘れ去られるのは「学び」の意味である。

   子安宣邦氏著『思想家が読む論語:「学び」の復権』は、仁斎古義学の視点から諸『論語』註を紐解きつつ、「教育」の過程で、学ぼうとする者の動機を盲目的に該制度へと従属させているプリミティブな問題を指摘している。確かに、現代社会が重視して止まないのは、あの「梯子」(ディグリー)であって、「学び」の歴史、即ち自らの生と思想に充実と厚みを与える「学」歴なのではない。

   この書を読めば、官僚制度に収斂された教育が、論語に言う如何に「師と成り得る」ものの導く「学び」の内容を持っていないのか、を知るはずである。『論語』読みの「『論語』知らず」にならないための必読の一冊をここに紹介する。



   本稿は、「文化研究」(Router: A Journal of Cultural Studies)第10期 「書評」 欄に掲載。

予防原則と被害者支持のパラドックス

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  本論は、台湾と日本の油症事件を事例として、事件史の中に共有されている項目----「倫理」問題から、これまで「予防原則」という語りを支えてきた社会的機制が何であったかを探求してゆく。

   知られるように、環境や消費者の保護、また被害者の支持や救済といった「善意」には、当たり前のように事・物や人に対してゼロリスクを求める志向が措定されている
しかし、この思考の合理性は、単に不完全な実定法によって逆規定されているに過ぎない、ということまでは殆ど知られていない。

   問題は、国家が定める基準には、既に「明日」の安全な範囲が事前に告知されている(と認識されている)にもかかわらず、これらの基準は、「明日」になって事が発生してから其の合理性が試されるに過ぎない構図の上に発生にする。保護や支持、また救済を叫ぶ「モラリスト」は、只管「明日」の安全を求めることで、自らの「善意」を精査する作業から逃れている。結果、規格化されているのは「誰」なのか、という最も基本的な命題は置き去りにされている。


  核心的な問題は、油症「被害者の支持」という語りの中で、誰も「優生」を掲げ、人の「素養」を高めることを理由に、人
に遺伝的・伝染的・精神的疾病の検査を促し、「異常」が認められれば受験者に中絶や避妊手術の必要を迫る(台湾の)『優生保健法』の
法理を「問う」ことすらできない点に存在する。

  この実定法に対する「
善意
」は、新しい思想と呼ばれる「予防原則」によって裏書されるが故に、被害者を支持するという符号にも、既に人の規格化という命題と、「倫理」を省察する契機は失われている。



   *本稿は、「文化研究」(Router: A Journal of Cultural Studies)第10期 「思想論壇 : 医療倫理 / 生命倫理
」 欄に掲載。

作為開眼的講義:評子安宣邦《思想史家重讀的論語:「學」的復權》

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教育」之所以能夠普遍性地執行,是因為官吏制度中預設好了正確的問題、正確的語意,以及正確的答案,而這所有的一切都由站在講台上的「教育者」(機構組織人)來管理與掌握之故。結果,始終不被回顧而忘卻的是「學」的意義。

      子安宣邦
先生著
《思想史家重讀的論語:「學」的復權》,是透過仁齋古義學為視點,接近《論語》的諸註解後,則逐漸洩漏出「教育」歷程中不斷地要求學徒們
盲從地恪守遵循社會「格式」的各種問題。的確,受到現今社會所重視的是「階梯」(degree),而不是「學」歷。由此觀之,在他律性地爬上這「階梯」的審核過程,與「從中習得己身的生命與思想的充實與厚度」是背道而馳的。

      我們在閱讀了
《思想史家重讀的論語:「學」的復權》後,能夠「知道」,現代教育的缺失,尤其在收斂於官方教育制度後,早已喪失「可以為師」導引出「學」的實質內容。在此介紹「知《論語》」必讀的一冊。 



預防原則與受害者支持的悖論──「油症問題史」的現在與其去向

 

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   本論以台灣和日本的油症事件史為典型的例子,透過這些事件史之中共有的項目
──「倫理」問題,從中去尋找以往之所以被容許「預防原則」論述的機制為何?對於環境,消費者保護,甚至對於受害者的支持、救濟等,這些諸多「善意」言行之中,不斷地預設了,對於人、事、物上有著「要求完美/排斥不完美」(零風險)的思考法。

         這些「善意」,其實僅不過是依賴「不完美的實定法」而被逆向規定的範疇而已。所謂國家訂定的基準,
雖然事先告知「明日」安全的範圍,但這些基準必須要等到「明日」發生狀況之後,才能考驗其妥當性。
換言之
稱為保護、支持甚至救濟的各項言行是,因為需要等到發生狀況之後,再能夠以防範未然、有益於明日安全作為行動的範疇,所以可以不去檢驗自身的「善意」言行。結果,將整個論述陷入於國家基準更換史之中。

         在油症「受害者支持」的論述過程中,為何始終未曾有人提出質疑:以「優生」保健、提高人口「素養」為由,宣導人民進行遺傳性、傳染性以及精神性疾病的檢查,若發現
「有異」,則能要求受驗者接受人工流產、結紮手術的《優生保健法》的存在?

         我們絕不能忽視,這些實定法的「合法性」,原來是來自於作為「新思想」的預防原則。

2010年12月16日 星期四

「零風險」思維的謬誤



   
我們該思考,2008年在中國大陸發生的「三聚氰胺奶粉事件」後,台灣消基會對於美耐皿食器進行三聚氰胺溶出試驗,以「為(台灣的)消費者把關」為理由,在雜誌上刊登「美耐皿食器抽驗,100%溶出三聚氰胺」提醒台灣民眾注意,但這背後思惟究竟為何?

    所謂「美耐」僅不過是指 “melamine” 的音譯標示,而至於「三聚氰胺」只是它的中文翻譯標示而已。對於「美耐皿食器抽驗,100%溶出三聚氰胺」這種的符號排列,僅是告訴台灣民眾,這個商品材質的實然(to be)。而當我們面對此「100%溶出三聚氰胺!」這樣的標題時,則是我們應該積極思考,這種將同意反覆 (循環邏輯) 的論題(begging the question)作為一件「為(台灣的)消費者把關」的事件的意圖究竟為何?

   我們必須思索,
對於事與物上展開的這「要求完美排斥不完美論述,導致對於「人」上採取何樣的態度?
   

2010年12月14日 星期二

文化研究 (第十期) 【思想論壇】簡介

本刊編委劉紀蕙為本期組織了一個相當豐富的「思想論壇」,以子安宣邦批判地解析「近代日本與兩種倫理學」作為交涉的論題。我們可以立即認識到在台灣或是中華民國一樣有著子安宣邦分析的兩種倫理學:一種是小學裡的「生活與倫理」、中學裡的「公民與道德」,是現代國家企圖教養公民的課題;另一種是大學哲學系所裡的倫理學,探討的是仍屬西方哲學Ethics所設的議題,現代醫療倫理與生命倫理也不例外。戶倉恆信提出的「油症問題史」給予一項啟發:從1955年日本的森永砷奶粉事件到2008年中國的三聚氰胺毒奶粉事件,從1968年日本發生油症事件到1979年台灣發生多氯聯苯毒油事件,某些大眾日常生活切身的環境或食品的風險與災害的發生與處置過程,不應局限在一時一國的認識,跨國的問題史研究應該能帶出更具洞察的理解。(引自「遠流博識網」)http://www.ylib.com/search/ShowBook.asp?BookNo=LA010 



【思想論壇】目錄
    

    近代日本與兩種倫理學
…………子安宣邦著,陳徵宗譯 

    現今,詢問倫理的意涵…………子安宣邦著,藍弘岳譯 

    第一部:醫療倫理/生命倫理 

       預防原則與受害者支持的悖論:「油症問題史」的現在與其去向…………戶倉恆信 

       如何尋找「支持」的立場:回應〈預防原則與受害者支持的悖論〉一文…………陳昭如 

      「我們」的複數性:油症「問題」是什麼?…………宇田和子著,馮啟斌譯 

       尋找在場的生命倫理學:讀子安宣邦〈近代日本與兩種倫理學〉有感…………邱彥彬 

    第二部:國家倫理/儒學倫理 

       有關子安教授所提出之兩種倫理問題的回應…………劉紀蕙 

       與人們一同追問:答 劉紀蕙 教授…………子安宣邦著,馮啟斌譯 

       回應子安宣邦的倫理思考…………劉紀蕙 

       回歸倫理的本質:知「天」與行「仁」…………陳瑋芬 

       台灣當代新儒家倫理學的構成…………祝平次

2010年12月6日 星期一

「鍋島論語」について

戦後暫くして、花田清輝氏が『葉隠』の語り手である山本常朝にモラリスト像をみたのは、花田氏が述べるような「演壇で立往生するような、しおらしい人間を連想した」からだとは、私には思えない。その真意は、戦後暫くしてこのテクストが「万人に白眼視されながら、孤立無援の状態に陥っている」のを目の当たりにする氏が、丁度「同時代」への反撥に演説台を選ばず、田代陣基という対話者を選んだ山本の方法に、煽動性ではなくして、哲学性をみたからである。言うなれば、戦中の「モラリスト」達が、『葉隠』を利用する演説家を兼ねていた、という「同時代」的問題を露呈させるべく、花田氏は山本常朝にモラリスト像をみようとしたのである。


例えば、栗原荒野の注釈本『葉隠の神髄』(1935年)序文(藤岡長和著)には:「「お家の為め」とは、今日に於ては「皇国の為め」といふに同じく、「殿様殿様」は、「皇室中心」のシノニムである」と記されているが、そもそも『葉隠』の生まれる享保期とは、この栗原注釈本の生まれる「何をおいても先ず是等の犠牲的精神を養ふ事が最大急務であらねばならぬ」ような「非常時の今日」とシノニムではない。(ちなみに、和辻哲郎、古川哲史校訂の岩波文庫版『葉隠』の初版は、「大詔煥発」の前夜1941年9月である)しかし仮に、『葉隠』の「成立時代」が、それほど「非常時の今日」とシノニムであるのなら、何故に時の佐賀藩校弘道館はこれを「国民倫理の教科書」として用いなかったのかその理由について、栗原は「秘書」だからと述べている。しかし当の山本常朝は「只自分の後学に覺え居られ候を、噺の儘に書附け候へば、他見の末にては意恨悪事にも成るべく候間、堅く火中仕るべき由、返す返す御申し候なり」と語っている。なるほど、他見の末にては意恨悪事にも成る」ことを、山本常朝自身が最も憂いていたのであろう。

   ところで、論語が「代名詞」となる、という命題は、古典があれよあれよと
「非常時の今日」認識を以って「シノニム」化してゆく点に生まれる。しかし、論語を代名詞にする古典とは、そもそも時の情勢如何に関わりなく、只管再読されるものを指していたはずである。山本常朝がモラリストであったか否かなど重要ではない。ある古典が、ある時代に「万人に白眼視されながら、孤立無援の状態に陥」るという、この奇天烈な状況自体を問うべきなのである。